五行祭

五行祭が存在するのは、備中・備後地方の五行祭信仰の篤い地方であると言われています。備中神楽ではこれを「舞い」で演じますが、備後神楽では「言い立て(口上)」で演じます。

備後神楽で五行祭をすべて舞うと、7~8時間を所要し、舞い手も見る方も、振舞われるおにぎりや茶菓子などで腹ごしらえをしながら鑑賞していました。現在は省略して舞うことが多くなっています。

 

五行祭とは

陰陽五行説を平易にくだいて劇化し、神楽の「能舞」としてまとめた長編の物語です。現代風にいえば和製のオペレッタです。

五行説は、根本理法が実際生活と密着して説かれていることから、我が国でも古くから広く信仰されていたそうです。

主な登場人物が五人の王子であることから『王子神楽』と呼ばれることもあります。

備後神楽の舞手(語り手)は、明文化された五行祭祭文をことごとく暗記していて、これを声高に早口で唱えるのが特徴です。


歴史

発祥は明らかになっていないそうですが、文化15年(1818)4月菅茶山の書いた『御問状答書』によると、「山村の神楽に王子をせくと申す事御座候」とあることから、江戸時代には行われていたようです。

備後の王子神楽は明治から大正にかけて全盛期を迎え、舞人も30名余りあったそうです。昭和・平成と徐々に減り、現在は備後各地に散在する舞人が集まってこの神楽を伝えています。

登場人物

盤古(ばんご)大王/ 死期に近く、下記の遺産を四人の竜王に分配した後、死 五郎には
大王の后 /盤古大王の后 死期に、胎内にもう一人の子

●青帝青竜王(太郎王子)/木神・東方・春分正中・甲乙 の郡・90日
●赤帝赤竜王(二郎王子) /火神・南方・夏至・丙丁の郡・90日
●白帝白竜王(三郎王子)/ 金神・西方・秋分正中・庚辛の郡・90日
●黒帝黒竜王(四郎王子)/ 水神・北方・冬至・壬癸の郡・90日
●出生した竜王:黄帝黄竜王(五郎王子)/ 土神・宝剣

弓場(経津主神)/問訊博士(塩土の翁ともいう)

あらすじ

盤古大王の死後に出生した五郎王子は、父の名が知りたく、母后に尋ねる。しかし、母后は遺産相続の争いを危惧し、兄たちを訪ねるように勧める。

兄たちはいずれも遺産を削り取られるのを恐れて、自分達に弟はいないといい、「四という数字は天地万物の基である(春夏秋冬・東西南北など)」という。 再度兄たちを訪れた五郎王子は、「五こそ万物の基礎の数であり(東西南北および中央、 春夏秋冬およびその境など)、自分こそは五番目の弟に間違えない」と主張するが、また断られる。

五郎王子は兄たちと戦うことを決意し、一人対四人の激しい合戦となる。

その時、 問訊博士が駆けつけ、兄弟相争うことの愚かさを諭し、条件を示して和解を勧める。その条件とは、末弟の五郎王子は土神で、中央と戌巳の郡を領し、兄たちの持つ90日から一人18日ずつ 土用として分けることである。

ここに和解は成立する。

詳細な物語・・・『私見五行祭』(故)下引地一二先生(広島県三原市)著 より許可を得て引用

■盤古大王と四人の王子の遺産相続

盤古(ばんご)大王には、四人の王子と四人の姫とがあった。姫四人は、この物語の中に主要な事件を起こさない。

盤古大王は其の国土を四方に分けて四人の王子に、各々治めさせるように譲り与えた。そうして、一年の四季も各々それに付与してやった。

これは神様の物語であって、人間の世の物語ではない。人間の王様なら国土と人民とを治めるのであるが、これは神様のことであるから国土といっても四方の方位を指すものであり、又四季という時間的なものがその統治の領分となるのである。

盤古大王は四人の王子に四方と四季とを分与してこれで天地の運営は丁度うまい具合に行くからと一安心し、やがて自分は死んで行こうと思って后の所へ暇を告げに行った。

ところが驚いたことに后の宮は妊娠しているという。大王は老境に入った身であるから、これ以上に子が出来ようとは思いもかけぬことであった。

腹の中に居る子は男子か女子か分からぬが、いづれにしても生まれくる以上は大王の子であるから、相当の譲りを遺しておいてやらねばならぬ。大王はその子の為に普通の遺品は之を準備して后に託したが、今までの王子に譲り与えたような四方と四季とに相当する領分は既に四人の王子に分与してしまって残っていないので遺してやることができなかった。

かくて、盤古大王は王子たちとも別れ、后の宮とも愛執の絆を切って一人で天に昇ってしまった。

■秀才五郎の誕生と四人の王子の結束

間もなく、后の宮は男の子を生んだ。その子を五郎と名付けた。五郎王子は普通の子ではなくて、すばらしい英傑の素質を生まれ乍らにもっていた。

十月十日(とつきとうか)で生まれる処、彼は十三ヶ月半も胎内にいた。生まれた時には髪は肩まで伸びており歯も生え揃っていた。生後僅か一時半で言葉を喋ったという。

兄四人の王子はこの子は、鬼の風子(かざこ)に違いないから大きくならぬうちに早く捨てるが良いと言ったが、后の宮は可愛いので大切に養育した。

五郎は常人とはまるで違った発育ぶりであったので三才の時には母の膝下を去って、高天原の天高市(あめのたかいち)へ修行の為に上らせられ、思金命(おもいがねのみこと)について学問をしたが、非常に秀才で有ったから僅かの間にも何もかも修得して忽ち山一番の大学稚児と呼ばれるに至った。

兄四人の王子は四方と四季とを各々一つずつ領有して、天下(あまがした)を平和に統治していたが、風聞する所、天高市には非常に智慧の優れた者があって、それが天降って来て四人が領有するものに対して分譲を請求してくるかも知れぬということである。もしそうなったらどうするかと、先ず長兄の太郎王子が主宰者となって他の三人の王子を集めて談合をした。

その結果、その様な者が天降って来て、四人が平和に領有する四方と四季とに対して割込みをかけようなどとするならば、断乎として之を拒絶するよう、四人は堅い約束の歌を詠みあい、結束を固めて待つ事になった。

■父の御名と行方を母に尋ねる五郎

談変わって天高市の五郎は、或る日の事、弓を習いたいと思って高天原の隣国の湯津岩村(ゆずいわむら)というところで弓の同上を開いている経津主(ふつぬし)の神、即ち弓場太郎(ゆんばたろう)のもとへ行った。

弓場太郎は兼ねて聞く秀才の五郎が弓を習いに来た事を喜んで迎えた。

併し先ず弓を教える前に占いの弓を五郎に引かせてみた。

五郎は二度迄も弓を引いて見たが、矢は上の方へそれて飛び、的へは当たらなかった。

占いの弓で矢が上へそれるのは、父のないことを表すものだと弓場太郎は父のない子はこの道場におくことは出来ないと弓の教授を断った。

五郎王子はすごすごと再び天高市の学問所へ戻って来たが、それからというものは何に付けても父のないことが淋しくてたまらなかった。小鳥でさえも父よ母よとさえずるではないか、友達の誰に聞いてみても父母はあるというし、兄弟姉妹のことを楽しげに語っている。それなのに自分は七才になる今日まで父に合ったこともなく、父は誰かわからない、兄弟とも交わったことがない。

自分も人並に孝行ということがしてみたいと不幸の王子は悶々の裡に日を送っていたが、とうとう堪らなくなって夜の間に天高市の学問所を抜け出して、下界の母后の許へ帰って来た。

后の宮は、不意に帰って来た五郎の身の上に何か変わった事でもあったのかと母らしい心配をしたが、事情を聞いて見ると父の御名と行方が教えて欲しいというのだった。

后の宮は、五郎に真の事を教えてやりたかったけれども、父は盤古大王で、五郎はその正統な王子の一人であるとあからさまに話したら、四つしかない四方と四季とを各々分領している兄四人の王子に対して、 五郎が相続権の分譲を主張するに違いない、そうすると必ずそこに相続争いが起こって平和が乱れるに決まっている。

それではいけないから、先ず四方殿を馳せ巡って兄達の言う事を聞いて見よと后は五郎を遍歴の旅に立たせたのであった。

■招かざる客、五郎

五郎は東方太郎 南方二郎 西方三郎 北方四郎 という順に経巡って父の御名と行方を尋ねた。

太郎 二郎 三郎は 何れも自分は教えないで次の弟へ次の弟へと、この招かざる客を申し送った。

最後の四郎の処へ五郎が尋ねて来た時、四郎は五郎を騙して饗応し油断を見て弓で射殺そうと したが仕損じた。ニ度目には刀で斬り掛かったが又果さなかった。

五郎は怒って、四郎の無礼を訪問すると、四郎は「お前は鬼の風子(かざこ)だから殺してやるのだ」と罵った。

ここにおいて、四郎と五郎は刀を抜いて戦ったが、勝負はつかず五郎は母の邸へと帰って行く。

勢い立って五郎は母の前に帰って来て、自分は四郎から鬼の風子と言われたが、真実か、どうかと詰め寄った。

后の宮は、五郎の戻って来た様子を見て、兄四人の王子には平和に領地を、分け合ってやる意志がなく、五郎を邪魔もの扱いにしている事が判った。

母の眼からみれば末子に生まれて来て父の顔も知らず、除けもの扱いにされる五郎が不憫である。

五郎が兄四人を向こうに廻してでも、戦い取るだけの覇気があるならば、五郎に相続権を主張させてやらねばならぬ、五郎にそれだけの覇気が有るかないか五郎に試すために母は、心にもないことを言って五郎を絶望の窮地に突き落として見るのである。

即ち、母は五郎を「鬼の風子に間違いない四郎の言う通りだ」と言って突き放す、予期に反した母の言葉を聞いて五郎の王子は驚愕絶望 自棄心のおきどころなく、鬼と言われた腹立ちまぎれに目前の母を殺して自ら鬼になろうとする。

母は猛りたった五郎の刃の前で静かに三呪の文を唱えて五郎を平静に帰らしめ、更に親の恩の尊いことを説いて親に刃向かうような事をしてはならぬと戒める。

一時は怒りに狂ったといえども、素より純真で素直な五郎王子は母の言葉で直ちに自己の態度の誤っていた事を悔いて、母に無礼を詫びるのであった。

■遺産分配を巡る戦いへ

そこで母は五郎王子に初めて真実を語って聞かせた。

「お前の父は盤古大王に間違いない。何でお前が鬼の子などであろうぞや。父の譲りの品は保管してあるから今こそ出して与えてやろう。又お前も大王の正統な子である以上は領地の分譲を主張するであろうがその結果は戦争になることは止むを得まい。兄弟喧嘩は良いことでははいけれどもお前一人だけを不幸な子にして見棄ててはおかれない。母と父とが守護してやるから進んで堂々と所望の配分(遺産分配)を勝ち取るがよろしい。」

と言った。

そこで、五郎は、黄色の幡を立てて兄の所へ再び行って自分が正しい兄弟の一人であることを告げて、領地の分譲を請うたが素よりそれは一蹴(いっけつ)せられ、戦争は必然の結果となった。

かくして、戦いは始まったがこれは太郎(木性)、二郎(火性)、三郎(金性)、四郎(水性)との連合軍と、五郎(土性)一人との戦争である。

然るに土の性というものは、五行の中で他に何者にも変化する妙用をもったものであるから、五郎は自由に変化して、一人であっても兄四人に負けなかった。

兄四人の連合軍は却って苦戦に陥って死に物狂いで戦わねばならなかった。

戦場で互いに殺傷する血潮は流れて五河(ごうが)の川はそのために濁れた。

■問訊博士戦地へ赴く

さて、五河の川下には問訊博士 という天文の首領を司る者が住んでいた。

五人兄弟の戦場の舞台は一転して、問訊博士活躍の場面となる。

博士は今まで一度も濁ったことのない五河が五臓の血色に濁れるのを見て、その原因をつきとめて早く清い流れに戻したいと思って川上へ川上へと尋ね上って見た。

先ず問訊博士が最初に出会ったのは若くて美しい吉祥天女であった。

博士はこれに河水の濁れる訳を聞いてみたが知らぬと言う。

更に川上に尋ね上って見ると恐ろしげな大蛇に会った。大蛇は自分は知らないが、山の神なら知っているから聞いて見なさいという。

博士は大蛇と別れて又もや川上に上って見ると、山の神が忽然(こつねん) として立っていたから 、これに問うてみると、上流で盤古大王の王子たる五人の兄弟が相続争いで戦争を起こしたので、今やその戦いの真っ最中でその血が流れて濁れるとのことである。

なんとか早くその戦争の現場へ行き着く手段はあるまいかと相談してみると、山の神はその方法を教えて呉れた。

博士は教えられた通りにして、名馬に乗って瞬く間に戦場へ行き着くことが出来た。

■問訊博士による五王子の仲裁

兄弟五人は戦争の為に気負い立っていたから、はじめはなかなか博士の言うことを聞かなかったが、博士は呪文を唱えて俄に天地を真っ暗にしたので、 五人は漸く博士の言うことを聞く気になった。

博士は、汝等五人は皆が真の兄弟であると教えたが、容易に信用されなかったが、博士が血合わせをして見せたので、真の兄弟であることが判り、兄弟は問訊博士に仲裁を頼んだ。

そこで、問訊博士は太郎を東の木の城に、二郎を南の火の城に、三郎を西の金(かね)の城に、四郎を北の水の城に、そして五郎を中央の土の城に座らせた。

これで五行と方角に対する五人の分野は不平等なく治まった。

さて、次に一年の季節の分配については、元来春は太郎、夏は二郎、秋は三郎、冬は四郎と各々三ヶ月ずつの領分で、各季節は大略九十日ずつであったが、その各季節の最後の十八日ずつを土用と名付け、之を五郎に分与することにした。

かくすれば五人王子は、いずれも七十二日ずつを領する帝王となり、一年は公平に五等分せられることとなる。

又五郎の領分は四季に分散しているのでその代償として、一年に六度ある庚申の日を特に五郎に与えることにした。

■その他の分与

問訊博士は更に五人王子の姫宮にも各々領分を与えることにした。

春秋の彼岸の昼と、夜と、及び三年に一度巡り来る閏月(うるうづき)とを分与し更に進んで五人王子の子どもにも各々名を付けてやった。

それは、十干(かん)、十二支、十二直、九字、数字、いろは四十八文字等で名を付けたのである。

又五人兄弟の母(大王の后の宮)にも領分を与えた。それは一年十二ヶ月の各月にある祭りの日である。

次には、此の事件に関係した功労者にも各々報奨を行なった。

吉祥天女は、天探女(あまのじゃく)と祝い、大蛇は水の神と祝った。山の神の大王は道祖神(どうそじん)として祭った。

問訊博士は此の様に天下の大動乱を巧みに折衝調整したのであるから、その功労に対して五人王子から、木火土金水(もっかどごんすい)を博士に献上しようということになった。

更に、四季の土用の間日(まび)を抜いて博士に付与し家の中では炊事の神、又は土公神(どこうじん)として祭ることにした。

■結末

兄弟五人は今は互いに仲良くして土公神の祭りを懇ろに行うて、家の中は勿論里内の氏子は皆平和安穏に暮らすことが出来る様にした。

かくて五人王子と土公神の博士とは六人で目出たく舞い治めるのである。