夏休みなどの長期休暇の前には読書感想文が課題として出されます。 特定の数冊から1冊を自由に選び提出しますが、 同じ本を読んだ生徒たちの感想文の内容が重複することは少なく個性に応じ様々。 注目する部分も異なり発想も豊かです。 よほど内容が的外れでない限り、 内容も自由で再提出や減点されることはありません。 なぜなら「読書」とはそういうもので、 自由に発想することに意義があるからです。
では国語の文章問題もこんな調子でよいでしょうか。 おそらくテストの結果は散々です。 なぜならテストでは常識的解答を求められるからです。 この「常識」とは大人が読めば当然のものですが、 子供の場合は生活環境、 精神年齢、 読書量などで差が出ます。 それは小、 中学の国語のテストの成績が女子のほうが良いことからもわかります。 女子のほうが大人だし、 問題文も丁寧に読めるからです。 しかし、 受験期が近づくと様子がまた変わってきます。 成績の良かった女子生徒のなかでも差が出始め、 また、 男子のなかで成績の良い生徒が出てきます。 これら成績の良い生徒は文章問題の読み方の意識を自然と「読書」から、 受験モードに切り替えたからでしょう。 国語の文章問題はどれだけ読み込んだかで結果は決まります。 なぜなら問題は読んだ文章の範囲内で常識をもとに出題されます。 両タイプの生徒が問題文を読み終えた時点で既に得点差が出てしまっているのです。 中途半端に読んだ生徒、 単に読書好きの生徒が勝ち残れるわけがありません。
学校や、 塾での国語ではテスト問題の「読み方の授業」はあまり深くされません。 もちろん一般的なことは抽象的にはなされていますが、 それでもそれらは問題に対する対応や、 考え方を解答時など後から触れるものであくまで受動的です。 はっぶるが提唱するのは能動的な「読み方」たる熱読力です。 発汗します。 例えば、 最初から出題者の質問意図を探りながら読み始める意識を植えつける「読み方」です。 文章問題には書き抜き、 記述など形式パターンがあり、 それらを念頭に置いた上で生徒自身がまるで自ら問題作成をするくらいの意識で読むのです。 ここまで来ればもう生徒と出題者間の「心理戦」です。 出題者は生徒にもちろんすべて正解して欲しいとの愛情を持ちながらも、 やはり簡単な問題ばかりは出題できません。 ひっかけ問題もたくさんあります。 成績差も出さなければいけません。 読み手側の生徒にはかなりの集中力が必要です。 プロとの戦いだからです。 問題文を冷静に読み込みながら “この段落はくさい”、 “この1文は熱い”などと、 何度か訓練することで国語への意識は一変することでしょう。
はっぶるではこの熱読力を体得するヒントを教授します。 勉強方法がわかってくれば成績も徐々に上がり、 国語の楽しみ、 興味も深まることでしょう。