恋の蕾、開く季節
「来るわけ‥‥‥‥ねぇ‥‥よなぁ‥‥‥‥。」 ユーリは校門の外からチラチラと校舎を振り返り、校舎の入り口に何度も目をやりながら、溜息混じりにボソっとつぶやいた。 卒業式も昼前には終わり、先程までは別れを惜しむ大勢の生徒で賑わっていたのだが、皆この後卒業パーティーだの何だので、もうほとんどの生徒はこの場から居なくなってしまっていた。 自分も、フレンを含め何人かの同級生や後輩に誘われたが、ガラじゃないので全部断ってしまった訳だが‥‥‥‥。 本当はたった一人を待っているから、行けないのだけど。 本来なら、真っ先に「卒業おめでとうございます!」と駆け寄ってくるであろうと予測していたはずの彼女は全く現れる気配がなく、気が付けば、卒業式が終わってからいつの間にか数時間が経っていた。 念の為、彼女の教室にも行って覗いてみたのだが、誰も残っている気配はなく校舎もシーンと静まり返り、先生達だけが数名まだ残されているという感じだった。 「さすがに‥‥‥もう帰った‥‥‥か‥‥?」 そう思いながらもう一度入り口を見つめても、誰も出てくる気配はなかったが、それでもユーリはこの場から動けないで居た。 (まあ‥‥‥‥チョコレートも貰えなかったしな‥‥‥) つい先日過ぎ去ったばかりのバレンタインデーの事を思い出し、ユーリは大きな溜息をつく。 (脈はあると思ってたんだがな‥‥‥‥思い違いだったのか?) 何度も声をかけて慕ってくれていた彼女からは、自分に対して好意的な気持ちを寄せられていた(と思っていた)ので、その頃は何の疑いもなかった。 態度などからも、おそらく恋愛的な意味で、自分の事を好きでいてくれているのではないかという確信じみたものもあった‥‥‥‥‥‥‥はずだった。 「‥‥‥‥参った‥‥‥な。」 自分で思っていたよりも、心は相当ショックだったらしく、ありえないくらいに落ち込んでいる自分に気付く。 (卒業おめでとうの一言も言いに来てくれねぇとはな‥‥‥) 視線を上げると、まだほんの少し咲き始めたばかりの桜の花が目に映る。 控えめに開きかけた淡い桃色の蕾が、まるで彼女を思わせるようで何だか少しイライラした気持ちにさえなる。 ユーリはその光景を複雑な気持ちでぼんやり見ながら、校門の外で黙ってずっと待っていた。 帰るなら、きっとここを通るはずだと。 自分はもう卒業してしまったから、もう学校内で会える事はなくなってしまうから、今日は会っておきたかったのに‥‥‥‥。 (はっきり言っときゃ良かったか?) まだ肌寒い春の風が、するりと横をすり抜けて行った。 *************** (‥‥‥‥‥結局‥‥‥言えませんでした‥‥‥) ほとんど人の来ないような体育館裏で、エステルは一人コンクリートに座ったまま膝を抱えて顔を伏せていた。 (もうきっと‥‥‥帰ってしまいましたよね‥‥‥) ますますしゅん‥‥となってしまったエステルは、泣きそうな気持ちでいっぱいになった。 気持ちは伝えられなくとも、せめて、“卒業おめでとうございます”くらいは言いたかったのにと、酷く後悔していた。 「うっ‥く。」 自分の勇気のなさに涙が零れる。 「ああ、もう‥‥‥‥こんな所で何やってんのよ‥‥‥‥探したじゃない。」 その時ふと現れた小柄な影に、エステルは顔を上げる。 「‥‥‥リタぁ‥‥。」 「なっ!あ、アンタ、どうしたのよ?!」 瞳いっぱいに溜まった涙を流したエステルを見て、リタは一瞬ギョっとした。 誰に泣かされたのよ?と聞くと、エステルはフルフルと横に首を振る。 「違うんです‥‥‥‥‥言えな‥‥‥くて‥‥‥‥。」 何となく理解した親友のリタは、深い溜息をついた。 「‥‥‥アイツに言わなかったの?」 「だって‥‥‥‥。」 涙声のエステルに、リタは少し言葉を和らげた。 「全く‥‥‥しょうがないわね‥‥‥。」 そう言いながら、リタもエステルの横に腰を下ろす。 「もうとっくに帰ったかもしれないわよ?」 「そう‥‥ですよね‥‥。」 「でも、好きなんでしょ?」 リタにそう言われてエステルはコクンと頷くと、ポツリポツリ話し始めた。 「‥‥‥バレンタインにも、チョコレート渡せなかったし‥‥‥。」 ユーリに渡すつもりでちゃんとチョコレートを作ってきていたのだが、他の綺麗な女の子達に囲まれているユーリを見て、とても渡せる状況ではないと思い、そのまま静かに教室に戻ってしまったのだった。 「放課後にもう一回渡そうと思って、ユーリ先輩の教室にも行ったんです。でも‥‥そこでも女の子がいっぱいチョコレート渡していて、それなのに受け取れないって‥‥全部断っていたんです‥‥‥。きっと‥‥‥誰か好きな女の子が居るんですよね?」 「は?」 (どう考えたってアンタの事でしょ?それ) リタは半分呆れて物も言えない微妙な顔になったが、エステルはそんなリタには気付かず、そのまま話し続けた。 「そう思ったら‥‥‥‥受け取れないって断られたらって思ったら‥‥‥渡せなかったんです‥‥‥‥。次の日も‥‥、何もなかったように普通に声かけてきてくれたから、全然気にされてなかったのかな‥‥‥って‥‥‥。」 (誰が見たってアイツ凄く機嫌悪かったわよ?) 「今日も‥‥‥最後だから‥‥おめでとうございますって言いたかったのに‥‥‥もう会えないんだと思ったら‥‥‥そう思ったら‥‥‥‥‥顔を見たら泣いてしまいそうで‥‥‥‥‥‥。」 語尾がか細い声になり、ますます沈んで行くエステルとは反対に、リタは頭を抱えたくなった。 この当の本人だけが気付いてないだけで、普段のユーリを見ていると、エステル好き好きオーラ出しまくっているのが見え見えなのに‥‥‥。 “学園のマドンナ”と言われている程のエステルに、何で男の子たちが滅多に声をかけて来ないのかとか考えた事はないのだろうか? あんなのにいつも後ろで睨まれていたら、同級生ですら怯むのに、あんな先輩から殺されるような眼で睨まれたら、下級生は逃げるだろうとリタは思っていた。 エステルは気付いていないだろうが、授業中以外はたいてい目の届く範囲にユーリが居た事をリタは知っていた。 (はっきりしないアイツもアイツだけど、鈍過ぎるエステルもエステルだわ‥‥‥) 「リタ?」 急にじっと考え込んでしまった親友を見て、エステルは不思議そうにリタの顔を覗き込む。 「どうしたんです?」 「ああもう、アンタ達はホントに‥‥‥。」 「はい?」 「‥‥‥‥な、何でもないわ‥‥‥。」 親友としてエステルの為に何とかしてしてあげたい気持ちはあるが、こればっかりは当人同士が素直に気持ちを伝え合わないと駄目なのだ。 お互い好き合っているのに、なぜこうも上手くいかないのかと、毎日のようにこの二人を見てきたから余計にそう思う。 「でも、ずっとここに居てもしょうがないでしょ?」 「そう‥‥‥‥ですけど‥‥‥卒業してしまったから、もう学校に来ないですよね‥‥‥‥。」 「アイツの家の場所くらい、誰かに聞いてあげるわよ。」 「リタ‥‥‥。」 「今日はもう帰ろ?ね?」 「‥‥‥‥はい。」 リタは立ち上がり、ほらっと手を差し出して、エステルも立ち上がらせる。 「ありがとう。」 「い、いいのよ、別に、これくらい。」 柔らかく微笑んでくれたエステルに少し照れながら、リタは先に歩き出す。 先に歩き始めたリタについていくように、エステルもゆっくり歩き出した。 *************** エステルとリタが校門まで歩いて来ると、校門の向こうに長身の影が見えた。 「遅ぇーよ‥‥‥。」 「っ?!」 思いがけない声にエステルが顔を上げると、校門の横の壁に縋って腕を組んで、機嫌悪そうに睨んでいるユーリの視線とぶつかった。 普段聞いた事のない怒ったような低い声に、エステルは少し戸惑った。 「あ‥‥‥ユーリ先輩‥‥‥。」 「何やってたんだ?」 「えっ?」 「今まで何やってたかって聞いてんの。」 きつい言い方ではないが、少し怒っているような、静かな緊張感があった。 あれから何時間経ったのか、もうすっかり夕方になってしまっている。 夕焼けに染まった空から、オレンジの光が差し込んだ。 ユーリはエステルに近付くと、じっと見下ろした。 「あ、あの‥‥特に何をしていたという訳では‥‥‥‥‥。」 何となく咎められているような気持ちになって居心地が悪くなり、エステルはユーリから視線を逸らす。 エステルを見つめていたユーリは涙の跡に気付くと、少し困ったような顔になった。 「泣いてた‥‥のか?」 「えっ?」 涙の後をさするように、ユーリの指がゆっくりエステルの目尻に触れる。 「何で?」 「あ‥‥‥‥。」 「何で泣いてたんだ?」 「それ‥‥‥は‥‥‥。」 「あー。あたし、先帰っていい?」 「あ?」 「えっ?」 バッと二人揃って振り返ると、先程から二人のやりとりを見ていたリタが、やれやれといった顔をしていた。 「全く‥‥‥。素直になりなさいよ?アンタたち。」 「は?オレもか?」 「当たり前でしょ?!」 リタはユーリをギッと睨む。 (そもそもアンタがはっきりしないのが悪いんでしょーが!) と言いたい気持ちを抑えながら、言葉を飲み込んだ。 後は二人の問題だから、自分が口を出すべき事ではないと。 「まあ、いいわ。」 「リタ?」 リタはポンっとエステルの方に手を乗せ、がんばりなさいよ、とそっと耳打ちをする。 それから、じゃあね、と右手をヒラヒラと振ると、そのままくるっと背を向けリタは去って行った。 (ありがとう、リタ) エステルはリタの後姿を見送りながら、心の中で親友に感謝した。 「言わなきゃ‥‥‥わかんねぇ‥‥か‥‥‥。」 「?‥‥何がです?」 「ったく‥‥こういう事だよ。」 ユーリはキョトンとするエステルの顎をくいっと軽く持ち上げると、淡い花の蕾のようなふっくらした唇に、自分のそれを重ねた。 「!っ‥‥‥‥あ、っふぁ‥‥。」 唇が離れてエステルが驚いて見上げると、先程とは違う、優しい眼で見つめられた。 「おまえが好きって事。」 「あ‥‥わ‥‥。」 「ん?」 「わ、わたしも、ずっと、す、好きだったんです!!」 真っ赤になりながらも、今伝えなければとエステルは必死で気持ちを訴える。 その後、遂に言ってしまいました!という顔で、両頬に手を当てて真っ赤なままで焦るエステルの態度に、ユーリは笑いが込み上げてきた。 「くくっ‥‥。」 「あの‥‥‥ユーリ先輩?」 急に笑い出したユーリをエステルは不思議そうに見上げた。 「‥‥知ってるよ。」 「え?知って‥‥‥たんです?」 「だから、色々ショックだったんだぜ?」 「ご、ごめんなさい‥‥。」 「何に謝ってんの?」 「えっ?」 「期待させておいてチョコレートくんなかった事?おめでとうの一言も言ってくんなかった事?オレ今日ずーっと待ってたんだけど?」 「あ、あの‥‥‥‥。」 色々心当たりがあり過ぎて申し訳ない気持ちでいっぱいになり、エステルは再び泣きそうな顔になる。 (ちょっと虐め過ぎたか‥‥?) 「別に怒ってねぇよ‥‥だからそんな顔すんな。」 ユーリがそう言ってやんわりと抱きしめると安心したのか、エステルはユーリの胸にぎゅっとしがみついて顔を埋め、それからまたゆっくり顔を上げユーリを見つめる。 「あのっ!」 「ん?」 「卒業、おめでとうございます!」 「ああ、サンキュ、な。」 満開の花のような笑顔で言われると、ユーリは先程までのどんよりした気持ちが嘘のように軽くなった。 ずっと望んでいたものが、今はこの腕の中に在るから。 「バレンタイン、チョコレート貰えなくてマジでショックだったんだけど。」 ガラにもなく照れている自分をごまかすように、思い出したように言った。 「そ、それは‥‥‥‥渡そうと思ってちゃんと作って来たんですよ?‥‥‥‥でも‥‥‥お昼に渡そうと思ったら沢山の女の子に囲まれていて‥‥‥‥。放課後にもう一回渡そうと思って教室に行ったら、ユーリ先輩‥‥‥全部断っていたから‥‥‥‥。」 「あーあれ全部断るの大変だったんだぜ?無理に押し付けてくるヤツが多くてなぁ‥‥‥。」 「断っていたから、誰か好きな人が居るんだなって思ったら、渡せなくなってしまいました‥‥‥。」 「その好きなヤツってのが自分かもとか考えねぇの?」 「‥‥‥‥‥‥か、考えませんでした‥‥‥‥。」 「はぁーーー‥‥‥。」 ユーリは盛大な溜息をつくと、がっくりと肩を落とした。 あれだけしょっちゅう付きまとっていたのに全然気持ちが気付かれてないとか、どれだけだよと責めたくなる。 コイツの親友にはあっさり気付かれていたというのに、当の本人の方が全く気付いてないわけで。 彼女が悪いわけじゃない‥‥‥悪いわけじゃないのは解っているけれど、ここまで鈍いと鈍過ぎるのもある意味罪だと思わざるを得なくなってしまう。 「結局、本命からは貰えなかったんだよな‥‥‥。」 わざと、恨みがましく物欲しげに見下ろすと、エステルは怒られた子供みたいにしゅんとなった。 「ごめんなさい‥‥‥。」 過ぎてしまった事だから、後悔してももう今更どうにもならない事は解っている。 けれどエステルは、自分に勇気が足りなかった事を後悔せずには居られなかった。 「すっげー凹んだ。」 「で‥‥でも、次の日普通に話しかけてきてくれたから、チョコレート‥‥‥全然気にされてなかったのかな‥‥‥って‥‥‥。」 「んな女々しい事言えるわけねぇだろ?」 「はぁ‥‥‥。」 「ったく‥‥‥苦労するぜ‥‥‥。」 落ち込んで沈みかけてしまったエステルを気遣って、ユーリは冗談っぽく笑ってみせた。 「ま、他のヤツに渡したとかじゃねぇから安心したけどな。」 「他の人じゃダメです!ユーリ先輩だけです!」 「そ、そっか。」 珍しくピシャッと言いきったエステルに、ユーリは少し嬉しくなった。 誰にでも優しい彼女だけれど、こうやってはっきりユーリがいいと言ってくれたから。 「あ、‥‥えっと‥‥。」 今更になってカァーっと赤くなり始めた彼女を、ちょっとからかいたくなった。 「何?お前、自分で言って照れてんの?」 「あ、ああああの‥‥。」 エステルを包んでいる両腕に力を入れ、顔を耳元に近づけ頬に唇を寄せると、ビクッと身体が震えた。 「ひゃっ!」 何するんです!と上目遣いで睨まれても全然迫力はなく、逆に煽るばかりだという事を彼女は知らない。 「いや、可愛いと思って。」 「〜〜〜〜っ!!」 「ははっ。」 「もう〜‥‥‥。」 「まあ、オレもさっさとはっきり言わなかったのが悪いんだしな。」 この鈍いお嬢様にははっきりと解らせておいてやらないと、この先も色々苦労しそうだな‥‥‥とユーリは思った。 「って事で、もう遠慮とかしねぇから、これからも色々宜しくな?エステル。」 「はい!ユーリ先輩。」 あえて“色々”の部分を強調して言ったつもりだったのだが、純粋な彼女にはその意図が通じてなかったらしい。 こうも素直な笑顔で返されると、毒気も抜けるというものだ。 (ま、いっか‥‥‥今はな‥‥‥) 「あ、それと、“先輩”は今後ナシな?」 「え?ユーリ先ぱ‥‥‥‥っ‥‥ぅんっ。」 言い終わらないうちに、ユーリの唇で言葉を封じられる。 それからエステルのおでこに自分のおでこをコツンと合わせて、諭すように静かに言った。 「ユーリ、だ。」 「ユー、リ?」 「そ。」 「ユーリ。」 「はい良く出来ました。」 ご褒美といわんばかりに、ユーリはエステルの頭をポンポンと優しく撫でた。 「うぅ〜〜、子供扱いしないで下さい‥‥‥。」 「あっそ、んじゃもう子ども扱いしねぇからな。」 ユーリはニヤッと笑いながらずいっと顔を近付けると、耳元で低い声で囁いた。 「本気でいくけど、いいの?」 「えっ?あ、あの‥‥‥。」 「とりあえずここじゃ何だから、これからオレん家‥‥‥な?」 そう言いながらエステルの腕をぐいっと掴んで引き寄せると、そのまま有無を言わさずスタスタと歩き出した。 「卒業のお祝い貰わねぇとな。」 「えっ?」 腕を掴まれたエステルは、半ばユーリに引きずられるようについて歩く。 「ま、待って、待って下さい〜!!」 「あ〜、ついでにチョコレート貰えなかった分、別のモンも貰わねぇと、なぁ?」 「えええっ〜?!」 甘い物の恨みは恐ろしいんだぜ?‥‥‥と含み笑いで言ったユーリの言葉を聞いている余裕は、今のエステルにはなかった。 ふわっと柔らかい風が吹くと、桜の木の枝がゆっくり揺れる。 淡い桃色の蕾が満開になるのも、もう、ほんのすぐ先。 〜後書き〜 初の学パロです。 卒業式ネタのはずなのに、バレンタインをおもいっきり引きずりまくりの内容で、どんだけバレンタインに未練タラタラなんだよって感じなんですが。(苦笑) エステルに“ユーリ先輩”って言わせたくて学パロ書き始めたら、思いのほか長くなってしまいました。 でも自分の中では最短時間で書き上げました。勢いって凄い!(笑) リタが凄く良い人ですvv |