HATAJIKI(畠敷)ガイド!
HP銘々の理由
畠敷とは広島県北の街三次市の東部に位置する地区の名前です。
そして、このホームページの作者である私が’99年の春、移り住んだ場所でもあります。
東京、大阪、また広島市もそういう傾向があると思いますが、街は西部に向かって発展する例が多い様に
思います。しかしこの田舎街三次市はその反対で、東に向かって開発され・発展している様です。
(三次市は盆地の中に位置し旧中心地区の西部は山が近く、土地が少ないという状況があります)
この地道に発展しているこの畠敷の地区に、またこの三次市に、これから移り住もうという
若い世代が少しずつでも増えてくれればという期待を込めて、HATAJIKIをこのホームページのタイトルとしました。 畠敷地区の歴史的な背景等 近年、商業的に三次町→十日市町→南畑敷・畠敷町という発展の過程を経ているため、畠敷地区は 三次のマイナーな地区と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、 中世を通じて三次盆地を支配していた藤原姓三吉氏の最初の居城は畠敷の比叡尾山城であり、 現在も城跡の東側山中の三吉氏菩提寺、高源寺跡の墓地には苔むした数十基の墓石が並び、一族の 栄華をしのぶ事ができます。また一時期だけの事ですが、源頼朝が平氏を滅ぼし鎌倉幕府を開くと、地方を治める地頭として、この地に 佐々木秀綱が送り込まれてきました。秀綱も三吉姓を名乗り、最初は比叡尾山のふもとの畠敷に居をかまえました。 しかし、この佐々木姓三吉氏は秀綱の子、秀方が承久の乱で、幕府方でなく京都方 に属したためこの地を追われてしまいました。その後の戦国時代においても藤原姓三吉氏は三次盆地の中で 成長してきた豪族として歴史に名を残しております。 |
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