人口は昭和20年代の多い時は3,000人を超えていましたが、現在(令和6年6月1日)は1,267人と約4割に減少し、65歳以上の高齢化率は50.82%になっています。
歴史的には山を中心に栄え、岩脇古墳(昭和32年県史跡指定)に代表されるように竪穴・横穴式古墳が多く存在します。
また、山中に砂鉄を採取する8本の鉄穴流し跡があり、旧三江線(平成30年4月廃止)粟屋駅の東南東約300mの渓流には土砂と砂鉄を分離する丸山鉄穴場跡(昭和34年市史跡指定)が昔のままの姿を残しています。
山城も九つの山城跡が3本の川を見下ろすようにあります。代表的な山城としては戦国時代に毛利軍の配下として尼子軍との戦いに活躍した、三吉新兵衛隆信(第13代比叡尾山城主三吉隆亮の弟)が城主の勝山城があります。
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